2007 魅せられてポルトガル~出会いからポルトガル初上陸まで~

その1「出会ってしまった運命・私はリスボンに行くしかないんだ」

 

私がなぜ?どうして?ファドに惹かれたか、その理由を一言でいうとなるとそれは簡単です。
それは私がポルトガルギターの音色に「深く恋をした」から。
2007年のことです。
とあるCDに入っていた「たった一曲のポルトガルギターとクラシックギターの伴奏するシンプルな音楽」=ファド。


MACHAKOにとってそれが生まれて初めての「ファド」というものに触れた出来事でした。それまで大音量のサルサ(ラテン)に慣れていた私にとっては画期的な出会いに他なりませんでした。


その日から
「この音楽は何なんだ?」
「知りたい」
「歌いたい」
「高音ギターの響きがめちゃめちゃ素敵だ!!」
と言う気持ちで胸の中がいっぱいになりました。
しばらくは適当に口ずさんだりなんだり、ファドのCDを色々買って見たり、色々聴いたり。それでまぁ、、、満足だったんですが、、、、、
「やはりちゃんと歌いたい」という気持ちから歌のレッスンとポルトガル語のレッスンを取りはじめました。

初めてのポルトガル語で大変でしたが、英語との共通点やスペイン語を長くやっていることでの、発音の共通点から探り、そして違う点を発見していくことからポルトガル語は歌いながらだんだんなじんでいきました。
そして「本当に一曲一曲を丁寧に歌いたい」と深く心から思うことができました。


そして2008年6月にファドを3曲ピアノの伴奏で歌う初めてのライブをしました。その時点で「もうポルトガルには行くしかないんだ」と決めていたのです。
「恋をしたらそれに会いたい」んです。夢のままとか憧れでいるままじゃいやだ。。。。

MACHAKOは体感型直感型人間です。
「本場で感じたものは絶対に身になり、私の何かになる」と思うことは「キューバ10回でいやってほど染みこんで」います。 「なんとかならないことをなんとかしてみせる」というラテン精神だって充分に養ってます。
キューバに10回。たまったマイレージは、ポルトガル往復するに充分でした。

決めて次の日に、まず10月に行く際の代行してくれるレッスンの先生全員に了解を得ました。 そして家族に了解を得ました。(実はそのとき、すでにチケットは押さえてましたが)
このへんは10年前とまったく変わらない決めたらそれに向かって一直線。
というか、こうなってくると周りは認めざるを得ないんですが(←苦笑。本当にわがままですみません)・・・・・・

短いですが、そんなわけでポルトガルに行くためにこの2008年の半分は費やした感じさえします。

 

 

 

その2「下準備」

 

 

行くからにはむこうで、とにかく体でファドを感じないとだめだと思っていました。
それは=向こうで絶対にファドを歌うということです
実は一人ひそかに燃えていました。(この時はこのような野望を誰に話しても信じてくれませんでした)
ただそんな目的を果すためにはここ、日本で少しは、あらかじめに「下準備」をやっておくことがどうしてもMACHAKOには必要でした。

MACHAKOは、自分がどんなにファドを愛しはじめていて、これからやっていきたくて、という気持ちを、ギタリストさんたち(現・港町ファド)に熱く表現しました。
それが伝わり(←無理やり?)、普段のライブの中で1,2、曲ですが、ファドも演奏することを了解して「一緒に練習をして」くれました。理解してくださいました。
まったく慣れないことをさせられてちょっと(かなり)かわいそうなツインギターのお2人・・・・・・それでなくてもラテン三昧(私と組むと)させられていると言うのに。。。。(でもね。。。。本当に気持ちの入った雰囲気のよい素敵な演奏をしてくれたということはわかりますし、伝わって来ました!!!)

そして思いのほか、「今までとまったく違う表現のファド」は、周りにはこころよく受け入れられはじめました。
いつもサルサで明るく元気なMACHAKOです。
正直、こんな暗くて、ちょっとせつなくて、哀愁ただよう?歌なんて人前で歌ったことはありません。
(影では「なんでMACHAKOはいきなりこんな暗い曲を好きになってしまったんだ~~~?」とひそひそ囁かれていたことは、もちろん知ってます。でもだあれもMACHAKOがここまでファドに恋していることなんて知らないもんね。)


ライブをするとはじめて私を見るお客さんが
「ファドがよかったですよ~~」と言ってくれることが、なんと!増えました。
それは、、、、とても嬉しかった。

そんなこんなで、ポルトガルに行く前に、
「これなら・・・きっと向こうで歌える」という4曲は日本で人前で歌うという経験をすることができました。(たったの4曲ですけど)

そして今。ポルトガルから帰ってきて思う一番のこと。
それは
「本当に日本でやっていってよかったなぁ」ということなんです。しみじみ・・・・・・・
やはりなんでもやるからにはしっかりとした「度胸」が大事。。。。。
だからこの下準備は間違ってなかったなぁと心から思ってます。

多大な準備や慣れないことをしてくださった、U&Sツインギターコンビには、
心から感謝しています!!!!
(でもこの2人がどんだけ実は柔軟で、すごいかはポルトガルに行き、更に体感してわかることとなるのですがこれはのちに詳しく)



その3「いよいよ出発!そして到着」

 

とうとう出発の日がやってきました。
ここで正直な話です。
「MACHAKOには不安がまったくない」のでした。

友人に「私は日本でラテンの歌を歌っています。そしてファドも勉強しています。うんぬんかんぬん(かなり直接的な言葉)」というポルトガル語を作ってもらい。
それをお守りと思って飛行機に乗り込みました!10年前に一人でキューバに行った時の自分がそこにはいないことにMACHAKO自身がびっくりしていました。
行ったことのない国だけれど、私は今、こんなにその国の音楽が好きなのだから、きっとうまく行くって信じ切っていました。
が、しか~し、「エールフランス」を出発直前まで「エアフランス」と間違えていたり。
飛行機で「マダーム」と呼ばれる事にいちいち、照れたり。。。。。
しょうもないMACHAKOはさておきで、、。。。。
飛行機は無事、フランスはパリを経由し。
リスボン(今後はリジュボアを書きます)に到着したのでした!!!!!


生まれて初めておりるリジュボアの夜。
その印象は街がとってもきれいで、夜なのに、危ない感じはまったくなくて、明るくて。

「想像どおり・・・・」
宿のおじさんは日本人が好きみたいで、とても親切でした。
部屋はせまくて、古かったけど。
なによりびびったのは
「部屋にシャワーがあって、トイレが・・・・」あるんだけど。
それが。。。。。。
絶対に「色々」は流れないでしょう?これ?という代物・・・

今までビデってものを色々な国でみたことはありました。
でもポルトガルのそれは、普通のトイレにそう・・・・形に大差がないので、
おじさんに「ここがトイレ」って言われた!?MACHAKOは、「それがトイレ」と素直に思いこんだのですが、その前にたたずんでしばらくは固まって考え込んでしまいました。。。。。

悩んだ末、それをどうやって使うのか聞きにいこうと部屋をでたら、となりに共同トイレがあって。ようやく「あれはビデでいいんだ」と納得。(全然ビデに見えないんだけど・・・)

なんか話がファドからすごいずれているんですけど、きっとみなさんもポルトガルであれをみたら悩むと思うのですよ。。。
なので長くなったけれど許してくださいね。

「シャワーは部屋にあるのにトイレが共同」という妙なペンサオンに、こうして二週間お世話になることになったのでした。
ちなみにこのペンサオン「トイレはあるけどシャワーがない」とか色々な部屋があるらしいす。まぁ住めば都でした!

MACHAKOはここのペンサオンのおっちゃんたちが大好きで、毎日朝から晩まで会うとふざけまくり、笑いあって、楽しい生活を送ることができたと思います。


その4)「ボンディア!リジュボア ~バイロアルトの夜」

 

翌日、気持ちよく目覚めたMACHAKO。
ますは地図を片手にリスボンを散策です。
地下鉄もバスも、そして「路面電車」も走っている「都市」!(キューバに比べたら!)
「なんて便利な街」なんだ~~~~。

朝はパン屋がいっぱいオープンしてて、好きなパンが選び放題で、しかもお安い!!!!
「感動・・・・・」

本当に海外にいくと「幸せのハードルが下がりまくる」私です。
キューバよ~~~!(本当に何も買えなかった1999年)色々な意味で、ありがとう。
ちなみにキューバには地下鉄もないし、バスもあんまりほとんど来ないし、朝から外でなかなかパンなんて食べれないし(パンだけじゃないけどさ)。
だからそれだけで超幸せ気分です。

サンタジュスタのエレベータを登り、てっぺんからリジュボアのオレンジの屋根を見下ろした途端、胸がいっぱいになり泣きそうになっていました。
「これからここに二週間もいられるんだ!」
希望でいっぱいになりました。

路面電車に乗って、アルファマにも行き、そこから歩いて中心地に帰ってくるころには、リジュボアの街にすでに慣れ親しんだ感じさえするのでした。


路面電車は最高です。
細い路地をするするっと抜けて、坂道をのぼって、モウラリアのちょっと怖い(夜)暗いとおりも便利にするっと抜けていきます。
(特に12番と28番の路面電車がMACHAKOは好きです。)
古い木製のその路面電車の愛くるしいこと・・・・・・

夜になり、ファドの時間がせまってきました。
初日は水曜日。
MACHAKOはどの店にいくか、日本にいるときから決めていました。
目指すはバイロアルトの有名ファドバディオ(歌いたい人が順番を待って歌うという)「Tasca do Chico」です!

ここから一つ、大事なことを書きます。
MACHAKOは2008年の秋。13日間。毎夜、ファドを聴きに色々な店に一人で行きました。
でも、その1つ1つのお店の情報を「詳しくここに書き記す」ことはどうしてもできません。
だからそういうことを期待して読み進めないで欲しいのです。。。。
その理由はあとで、お話します。

ただ「タシュカドシコ」に関しては、書けるんですね。
この店はとても素敵で貴重なお店ですから。

MACHAKO、NYやキューバで、色々なお店に行きましたけど、観光客と現地の人たちがここまでうまい具合に混じり合って盛り上がっているお店っていうものに出会ったことがないような気がします。

そんな、「不思議にあたたかく、そして見事なまでのな盛りあがりを見せているのがこのお店」なのでした。
何時にオープンかわからないので、19時半くらいに行くと、店の前に常連ぽいおじさんがいました。
そして私に
「何人?」って明るくきくので
「ジャポネーザ」と答えると、「20時にオープンだから、ちょっと待てよ~」とのこと。

そのうち、スペイン人の親子もやってきて4人で仲良くなりました。他にロシア人とかドイツ人とかも入り乱れてみんなでわいわい。。
他のテーブルも一緒になって、わきあいあい自己紹介をしていくうちに私が「日本で歌を歌ってる」という話になりました。

おじさんは「なんだ~~じゃあここでも歌えよ!」と明るく言ってきたのです。
MACHAKO驚きです。
(そりゃ、歌いたいよ。でも初日から? しかも、ここで~~~~?)

21時の時点で席は満席。
「溢れんばかりの客でいっぱい」なのですよ。
でもおじさんのビール(大)を間違ってごくごくと飲んでしまったあと、おじさんにそのあともビールやらチョリソーやらをがんがんおごられ続けていた私。(え~~実はキューバ1回目の時もそんなこんなで現地人と仲良くなった私です・・・)
断るわけにもいかなくなっていました。(←いや、もちろん断らないけれど!!)

司会の人におじさんが「この子を歌わせろ」ってお店の人にいいはじめました。
そこで司会の人は
「でも、君ってさ~~~~大体ファド歌えるの?」
「歌詞とかわかるの?」(超基本的なこと)
と疑惑いっぱいになって聞くので(当たり前だ)。
私は日本で録音しておいた
そう。
「U&Sコンビによる演奏 (歌は私)ファド(いちおう)」を、「ものは試しに」とおもって司会の人に聞かせたのです。(←これって凄~い度胸あるよね???)

が・・・するとですよ。
おじさんも司会の人も女性の歌手も集まってただうなづいてそれをじっと聴いているんです。そして。

「よ~~~し、次!歌っていいよ!」
ということになったのです!(←ええ~~~!?)
もう本当にU&Sコンビにここまで感謝したことはありません!(涙)

さぁいよいよ出番です。リスボンデビューです!
立ち上がって歌う場所に行くとギタリストさんが
「何歌うの?キーは何?」
と言うので
「カンサオドゥマル、MI」っていいました。
MACHAKO、女は度胸です。

・・・・ここで・・・・・
<ポルトガルファドを歌うための心得>

1)リハなし一発勝負
2)歌う曲をその場でギタリストにリクエスト
3)キーもそこで言う
4)テンポはおまかせ
5)とまるところを自分で好きに決める
6)あたりまえだけど歌詞を見れない
7)ギタリストも譜面みれない(当たり前)
8)なぜなら「真っ暗」だから
9)ふふん。こわくなってきた?
10)さぁ!勇気を持って歌ってみよう

ってな感じです・・・・・・・・・・・
もちろん、リハなんてございません。
合わせもありません。
テンポもわかりません。

だって
「その1回が本番」なのです。(現地では)
日本でもさすがにセッションでもこんな経験はありません。
すごい緊張感の中生まれて初めてのリスボンでのファド一曲が終わりました。


茫然としていると・・・・・
ギタリストが
「もう一曲やれよ~♪」というので
(ちなみにこのギタリストさんがとってもかっこよくて歌も素敵でMACHAKOはめろめろでした)
「ロウクウラ」と言って2曲目も歌いました。

しかしです。ここで大問題発生~~~~~!!!!
なんたって
「ビール大を2杯も飲んでいる私」(日本では絶対に飲んで歌ったりしない!!)
相当に気が大きくなっていたから歌えたのもあるのでしょう。

だからこそ!その時こそ!歌詞をド忘れたのです・・・・・(ガーン)(日本ではこの歌の歌詞を忘れた事はない!!!)

しかもそれに気がついた、そのギタリストがわたしを助けようと口ずさんだ歌が
「私がそのとき歌っていたその曲の歌詞ではないもう一つのほうの歌詞!!!!!!!」(ファドには歌詞が1つじゃないものがある)・・・・

しょうがないので、
「1番を2度」うたいました。。。。。

歌いおわるとまた酔いがまわってきて。。。
拍手はすごかったんですが・・・・・・・・
なんだかもう頭も体も緊張が解けてふらふらしてきて・・・・・・・・・

結局、歌い終わって気がついたらテーブルに戻って突っ伏していました。

テーブルのみんなは「よかったよ~」といいましたが、MACHAKOはまったくデビューに納得できません。

ここでは「良かったよ」とか「拍手の大きさ」だけで、曲や歌のよしあしを判断なんてできないし、(自分がなんせ納得してないのさ!)
ポルトガル人は間違っても
「君の歌って、ホント、最悪!」なんてその場で言わないことが、これでわかりました。

大変にMACHAKO反省です。
「飲むんじゃなかった・・・・・」
しかし「飲んだから→気に入られて歌う事になった」のが事実。。。。。。

「そうだよな。これでいいんだ。だってまだ初日だもの」(←初日が大事!!)と自分に甘いMACHAKO・・・・
(誰も助けてくれないし自分で励ますしかない)

そんな微妙な初日だったのですが、そのあとも結局は飲んで騒いで大変に楽しい夜でした。

帰りのタクシーで気がついた事。
「MACHAKO、店で一銭も払ってないじゃん!!!!」

おじさん~~~~♪
今度あったら「絶対に奢り返す」ことを誓うMACHAKOでありました。

 

                               ⇒第2章へ

 

初めまして!ファド歌手の

浅井雅子です。ファドとの出会いは2007年。そこからたった一人での現地リスボン修行が始まったのです。ただひたすらに「ファドを歌いたい」という情熱に突き動かされて・・・続きを読む

 

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