第8章 2008年~2009年ファドの一年総決算♪

その1)  ポルトガル帰国後ライブ

 

帰国後にMACHAKOを待ち構えていたこと。
それは殺人的な仕事の多さでした。

二週間も悠々自適にリスボンでファドを堪能したMACHAKOにとっていきなりの現実・・・・・

けれど、それを乗り越えられたのは、「ライブで数曲ずつファドを歌うことができた」からです。

帰国して最初のライブで、ファドを2曲歌いましたら、世田谷のラジオ局の方が来ていて、「あなたのファドをラジオで流したいので、是非ともきちんと録音してほしい」と言われました。

残念ながら、色々な諸事情が絡みまして、この企画はできなかったのですが、おかげさまでお店のオーナーがファドを改めて気に入ってくださり、
2009年1月に「MACHAKOにとって初めてのギターによる、ファドのみのライブ」をその場で決定してくださいました。

それまでのファドを歌う方法は今までたぶん、普通のライブでは考えられないことでしょうが、「サルサやチャチャチャや昭和歌謡」の中に突然に「ファドの時間」というものを設けて私は歌っていました。
(無理やり?)

でもはじめて15曲をすべてファドというライブ・・・・

それはそれはどうなることか、ちょっとは心配もありました。

けれど、この数カ月でわたしが、駆け出しながらも本気でファドに向かっていく気持ちをギタリストさんはわかってくれていたことが心の中の支えとして大きかった。。。。本当に大きかった。
ファドを通して仲間と信頼を重ねていくことができたように感じているのです。

そして、私は、「ただ歌えると言う事に喜びを感じられるライブ」ができたのでした。

「この声を持ったこと」や、「ファドに出会えたことを感謝」だけした・・・・

皆様に支えられて、無事、ファドのみをライブを大入り満員で終了することができました。すべてマイクを使わずに心込めて、、、気持ちで歌いました。。。。

2月のMACHAKOの誕生日当日には、ドスソネスコラソネスの大好きなギタリストであるムーチョさんがなんとMACHAKOの伴奏をしてくださいまして、満員のキューバファンの方々にもファドを知っていただくことができました。

サルサのイベントで、アカペラで海の歌を歌い、それを気に入ってくださり、ライブにきてくれた方もいた。
私のファドへの気持ちを1年ブログで読み続けて私に会いにきてくれた人もいました。いろんな新しい出逢いがあった。

そして続いて3月にもファドのみのライブを念願の港町、横浜野毛にて実行!

さながら「ファド酒場のようなアットホームな雰囲気」で、こちらも大入り満員でございました。。。 店長さんはリスボンから「カマネー」を日本に呼び寄せようとまでしていたというファド好きな方。

ライブ中はMACHAKOのMCにたいへんに楽しく絡んでくださり、本当に盛り上がった最高のライブにMACHAKOは感動で最後のMCでは泣いてしまいました。こんな気持ちになったのが生まれてはじめてでした。

見知らぬおじ様が
「心が洗われる歌に感動した。。。必ずまた来るよ。」と、もったいない言葉を最後に言ってくださった・・・・・

ファドを通して、本当に本当に多くの出逢いが、帰国後に待ち構えていたのでした。

 

 

その2) のちに気がついた事。

 

MACHAKOは、最近改めて気がついたことがあります。
それは、ただひとつ。
「ファドとMACHAKOは出会うべくして出会った恋人(でも決して結ばれることはない)なのだ」ということです。

こんなに「音楽に恋しいという気持ち」を持ったことはありませんでした。
近づきたくても本当に近づけない、ちょっと遠くにいる歌=恋人

リスボンでなぜ私が歌えたのか今ではわかります。
私は日本人です。
それだからなのでしょう。
「たいへんに珍しく、観光客にとっても、めずらしいこと。見世物にもなりうるということ・・・・(さみしいけどね)」

それでも、MACHAKOは信じています。私はファドを本当に愛している。愛しているから伝わる部分もきっとあったと思うって。。。。。
それでなかったら私を受け入れてくださったあの「奇跡の店との出逢い」はなかったはず。。

そして「私の持つ個性=明るさと親しみ安さが受け入れられた」ことも信じます(笑)

本当にどこにいっても、周りの方々から
「なんてシンパティカ(親しみの持てる)な東洋人なんだ!?」と驚かれていましたから。。。。

10回キューバに行きました。
最初は日本人としてサルサや他のダンスを「うまく踊れること」で、受け入れられていた。
けれど、数回たつうちに、私は「私のダンス。日本人のわりにうまいというのではなくて、私の個人の踊りを周りに受け入れてもらえる」ことを肌で感じることができました。
そうやって更にキューバを好きになっていった。

そして会話やコミュニケーションを通じて、「私個人とおどりたいのだ」という人たちと出会うこともできた・・・

歌も同じです。

最初から、日本人>個性
を覆すことはできない。
けれど、この気持ちがあるかぎり、いつかは伝わる。
私の気持ちはきっと「私だけのオリジナルの歌」にきっとなる。。。


発音も発声も詩への表現も大事です。
とても大事です。

でもそれに「急に近寄ることなど」はダンスと同じで私にはできない。
勉強しながらいっぱい感じなきゃ。

けれど、「急じゃなければ地道にやればいつか近づくことができる」のだと信じることが今はできました。
一歩一歩頑張っていけばきっといつか、2段抜かし?の階段登りもできるようになるかも・・・・・

MACHAKOは、サルサも、ボレロも、昭和歌謡も、歌います。
その中でのファド。

でも私は「そのどれもが自分に刺激を与えて自分の歌を形成していく糧になっていること」を日々歌いながら感じています。

ファドに生きる表現。
それはファドだけにあらずと、思います。(もちろん底辺の基本を平行して学びながらです。。。うまく書けないです)

ファドを通して「日本語の歌を歌うことというのが、いかに自分が日本人として大事であるか」も気がつきました。

ありがとうといいたい。

MACHAKOにとってファドは、「気づきの音楽」なのであり、「新しい自分も、今までの自分も、愛するものへの気持ち」も、すべてを含んだ、大事な大事な音楽に、どんどんと変わっていっています。

今のMACHAKOには毎日ファドのない生活など考えられません。

夜寝る前に歌い、朝起きたらまず歌詞を思い浮かべる、気がつけば口ずさみ、気がつくとファドのことばかり考えてしまいます。
けれどそんな中で、わたしには「キューバンダンスという世界」もある。

ダンスは本当にバランスをとり、私を昇華させる大事なものになりました。

MACHAKOは決意しました。

キューバンダンスのなかでもとりわけ。アフロキューバンにこの半生をかけること
そして、
ファドに一歩一歩近づく事に半生をかけること。

そして、
「今までにやってきたものへの確かな愛情も決して失わないでいよう」と。。。。。

「一番最後が一番大事」であることも今はファドを通してわかります。

 

 

その3) 愛と気づきの音楽=ファド。そして再びのリスボンへ

 

先日、リスボンの宿に電話をしました。

何もメモを書かずに電話したら、ポル語と、スペイン語と、英語がごちゃ混ぜになってしまったMACHAKO。
でも宿のおじさんは名前をいったら私のことをすぐに思い出してくださりました。
「いつくるんだ!いつだ?いつだ?」と

「待ってるよ~~~気をつけてきてね!」と予約完了(笑)
しかし、この半年では、語学にそんなに変化もなく、、、、、、また思いやられる日々が待っていそうです(苦笑)。

それでもMACHAKOは今回MACHAKOなりの野望があります♪
それはここには書かないでおく。

ただわかっているのは、「私にしか出会えない出会い」を大事にします。

一人一人との出逢いや、やりとり、そんな小さなことの積み重ねを大事にして、きっときっと素敵な滞在にします。

この半年のライブ活動を通して、私の両親や、家族、ダンスや音楽の仲間には、理解を深めてもらえました。
それにも、、、、応えたい。

私にはこの1年ファドを通して得た、私にしかわからない「出会いと別れと再生」があります。

その中でも「再生」をこれからの私は心の奥深くで、信じたい。そして大事にして大切に育てたい。。。
ただそれだけを考える時間が今は幸せ。

わたしとファドを出会わせたものへの感謝を毎日忘れずに、これからもひたすらに愛して努力します。
それだけは心に大事にしまって、忘れずに、今回も頑張りたいと決めてます。

だっていつかの、夢があるから。
かなわない夢ではないと信じているから。

さて、あと数日でリスボンです♪♪

また帰国してからのUPをお楽しみに~~!!


初めまして!ファド歌手の

浅井雅子です。ファドとの出会いは2007年。そこからたった一人での現地リスボン修行が始まったのです。ただひたすらに「ファドを歌いたい」という情熱に突き動かされて・・・続きを読む

 

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